宝物紹介
鎧胴
御祭神着用 卯辰八幡宮伝来
鉄製で正面に天満宮と彫り上げ、両脇に梅と松の図柄を彫り、右側に前田又左衛門利家と刻してあります。胴正面のところには、鉄砲の鉛玉4発の玉跡がはっきり残され、生々しい戦国時代を思わせます。
冑
御祭神着用 卯辰八幡宮伝来
鉄製皮黒漆固 大鯰尾形
鉄製皮黒漆固 小鯰尾形
利家公は、戦いに臨まれるときは常にこの冑鎧をご使用になり、戦えば必ず勝ち、一戦ごとにその恩賞により領国は拡大したといいます。
刀剣 [国指定重要文化財]
十五代当主 前田利嗣公献納
<太刀>備前国光忠作 朱塗台雲龍金蒔絵鞘(桃山時代作)
<脇指刀>備前国秀景作 朱塗台雲龍金蒔絵鞘(桃山時代作)
この大小の刀は、前田利家公が桶狭間の合戦で勇名をはせた折、ご使用になったものです。利家公はその後も、この刀を自分の守り刀として、ことのほか愛用されました。
御祭神御真筆短冊(桜の詠歌)
「ちらさじと おもふ桜の 花の枝
よしのの里は かぜもふかじな 利家」
この歌は、御祭神前田利家公が豊臣秀吉公と共に、吉野に花見に行かれたとき詠まれたものと伝えられています。利家公の直筆は数少なく、秘蔵とされてきたものです。
鞍と鐙
十四代藩主 前田慶寧公献納
この鞍と鐙は万治3年(1660)の作で、作者は喜多川と書かれているだけで詳細は不明です。
梨子地に剣梅鉢の定紋をあしらった優美なもので、合戦の際のものとは違って、狩りや遠乗りなどに用いられたといわれています。
能面 [金沢市指定文化財]
十五代当主 前田利嗣公献納
加賀藩の歴代藩主は、初代前田利家公をはじめとして、いずれも能楽に興味を有し、その育成に努められたところから、諸藩中でも随一の謡曲の隆盛をきわめ、加賀宝生という言葉さえ生まれました。
尾山神社には、前田利嗣公から奉納された能面が二十数面あります。
悪尉(淡吹の面)
悪尉(アクジョウ)は、鬼気迫るほど、凄味を帯びた面です。この面は、他の能面とは別の桐箱に納められ、門外不出とされています。
寛永年間、前田家三代藩主の利常公の頃、能登の海の沖に毎夜光るものがあるというので、網を打つと、一つの面がかかってきました。
この面を持ち帰ったところ、色々と不思議なことが起こり、面は謡をうたい、口から淡を吹き出します。その後も、不思議なことはやまず、町人の身で、こうしたものを持っているのは恐れ多いというので、寛永16年(1639)殿様に献上しました。しかし前田家においても、変異が次々と起こったので、このような神秘的な面は普通の家に置くべきものでないということになり、尾山神社へ奉納されました。 神社においても、この面を外へ出すと、一天俄にかき曇るとの言い伝えがあって、一切公開していません。